机上論人間

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五月雨を集めて早しラグラージ

【日記】ポケモンの病気になりました

病気というべきなのか中毒というべきなのか

 

構築を作成する段階で「崩し」を意識するというのは当然のことだが、それがあまりにも過剰になりすぎている。日夜脳内で受け回しに敗北し解決策の見えぬ日々を過ごしている

 

 

もちろん頭ではわかっている。受け回しすべてに勝つことができなくても他の構築への勝率を高めればレートは上がっていくということ。受け回しへの対策を分厚くしすぎたら逆に他のより流行している構築に対する勝率が落ちるということ。

 

もちろん頭ではわかっている。受け回しと呼ばれる部類の構築にもさまざまな種類がありそのすべてを網羅できなくてもいいということを。

 

それでもここまで躍起にさせるのは何なんだろうか。それは負け試合における「圧倒的敗北感」からくるものなのだろう。自分からの突破手段を失い相手に完全に詰まされて負けるという状況、これが底知れない恐怖を自分にもたらすのである。

 

ある程度の崩し手段を持っていたとしてもそれが中途半端である場合は択ゲーになってしまうことが多い。最終局面においてz技を通した通された、この最後のじゃんけんで試合が決することも多い。そこからくる択ゲーによる不安感を打ち消したくてしょうがないのかもしれない

 

受け回しは演繹的に組まれている。それゆえに一般的な定石が存在するし構築段階で一つ軸を決めてしまえばそこから取れる選択肢も他の構築と比べるとそれほど多くはない。それゆえに「穴」も明確に存在しうる。だからこそ詰将棋的な意味で、「ちゃんと対策していれば」勝てるケースも多い。そして負けた時に「ちゃんと対策で来ていない」ことが露呈してしまう。自分の信じた「軸」への疑いが生まれ、自分の構築を組む弱さに苦しんでしまうのである

 

環境に刺さるという言葉の意味はよくわからないが、自分の定めた軸から逸脱しない範囲で受け回しの中の一部に対しでも解答を用意し割り切ってレートに潜るメンタルを何とか獲得したい